海外の文化を知ろう~バレエ編②~|ビザサプリジャーナル

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海外の文化を知ろう~バレエ編②~

公開日:2023.04.21

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外国で発祥した文化の中で、日本でも愛されているものは数多くありますが、バレエもその中のひとつです。前回の記事では、そのバレエの発祥やどのように発展していったのかを見ていきました。今回は外国で発祥・発展したバレエ文化がどのようにして日本に入ってきたのかを見ていきたいと思います。

 

日本でのバレエの始まり

ルネサンス期のイタリアで生まれ、フランスで育ち、ロシアで成熟したバレエは、明治の終わりの1911年に初めて日本で初めて演じられました。東京の皇居近くにできた日本初の西洋演劇場建築である帝国劇場のオープンを記念しての上演です。帝国劇場は、日本の芸能文化の発信だけでなく、西洋の文化や芸能を広めることを目指し、当時世界で親しまれていたオペラやクラシック・バレエを広めるため、開館翌年の1912年、ロンドンの劇場で活躍していたイタリア人の舞踏家を招きました。バレエ指導を始めますが、伝来して間もないこともあり、日本ではあまり普及しませんでした。

 

日本でのバレエの普及

1919年、ロシア革命の混乱から逃れ、亡命したエリアナ・パブロバが来日します。彼女は鎌倉にバレエ学校を開き、多くの日本人ダンサーを育てました。ロシア革命の後、バレエ団を結成してインドや中国などを巡るアジアツアーを行っていたアンナ・パブロワは、1922年に再来日し「瀕死の白鳥」という演目を披露しました。これには多くの日本人が感銘を受け、あの芥川龍之介までもが彼女を絶賛したそうです。

 

「白鳥の湖」の全幕上演

太平洋戦争終戦後間もない1946年、東京の帝国劇場で、『白鳥の湖』全幕が日本で初めて上演されました。監修・振付・指導のすべてを担当し、自ら出演もしたのは小牧正英という人物です。彼は、ロシアにほど近く、西洋文化の色が濃い街にあるハルピン音楽バレエ学校で学び、多くの公演に出演し、さまざまな役を経験します。その後起こった戦争の混乱を経て、日本に戻った彼は仲間とともに東京バレエ団を結成し、白鳥の湖の公演を成功させました。この公演は22日間にも渡ったのですが、連日超満員で空前の観客動員を記録しました。上演された白鳥の湖という名称ですが、実はこの頃までは単に白鳥湖と呼ばれており、彼が「の」を入れ「白鳥の湖」としました。また「ballet」を日本語表記する際バレーボールの「バレー」と区別するため「バレエ」としたのも彼だそうです。その後も様々な演目を日本初上演し、多くのダンサーを要請した彼の功績はとても大きなものです。

 

さいごに

今回は外国生まれのバレエ文化がどのようにして日本でも愛されるようになったのかを見ていきました。

伝わってきた当初はあまり受け入れられなかったものの、時間をかけて浸透していき根付いていく様子が伺えました。現在の日本では東京バレエ団や新国立劇場バレエ団、Kバレエカンパニーなど色々なバレエ団の公演を見ることができます。またコロナウイルスが収束を見せていることもあり海外のカンパニーの来日公演も期待できます。興味があればぜひ劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか。次回の記事では、海外の文化を知ろう~バレエ編~の最後として3大バレエについて見ていきたいと思います。

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