日本で有名な“タイ人タウン”、“ネパール人タウン”、“ミャンマー人タウン”|ビザサプリジャーナル

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日本で有名な“タイ人タウン”、“ネパール人タウン”、“ミャンマー人タウン”

公開日:2020.06.26

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タイ

 2019年6月時点で、日本で暮らすタイ人は53,713名に上ります。出典:法務省「在留外国人人口」

 東京には「リトルバンコク」と言われる地域があることはご存知ですか?その場所は、錦糸町です。錦糸町がある墨田区の外国人口は、12,735名です。

 錦糸町は、かつてはフィリピン関連の飲食店が立ち並ぶ「リトルマニア」と呼ばれていたこともあります。その後、2000年前後で、タイ・東南アジア地域関連の出店が増加するようになりました。タイ人が突出して多いというわけではなく、韓国・台湾・モンゴル・ベトナム等、アジア地域関連のお店が多く立ち並ぶ地域となりました。現在では、多国籍街として発展していると言えるでしょう。

ネパール

 2019年6月時点で、日本で暮らすネパール人は92,804名です。在留ネパール人の特徴として挙げられるのは、留学生として来日される方が多いということです。在留ネパール人全体のうち、留学の在留資格を持つ人数は28,268名にも上り、ネパール人全体の3割をも占めます。(出典:上記法務省「在留外国人人口」)これは、日本国内の外国人留学生の国籍別ランキングで3位になる程の数です。

出典:独立行政法人日本学生支援機構

なぜ留学生が多いのか?

 ネパールを含み、東南アジアから毎年多くの留学生が来日します。なぜ、彼らは日本へ留学するのでしょうか?

①日本文化や日本社会への親しみ

 理系を専攻する学生の場合、物づくりの国である日本で高度な研究をしたい、専門的な教育を受けたいと考える学生が多くいます。母国でmade in japanに触れることもあり、それがきっかけとなることも多いようです。

 その他、近年は日本のアニメ・ドラマを見て、日本に対して関心を持つというケースも見受けられますね。

 

②日本企業への就職を希望しているため(日本で/母国で)

 留学生が卒業後に日本の企業で働きたいと考えた場合、就労ビザへ在留資格を変更することで、就労が可能となります(もちろん入国管理局の審査を受けて、許可をもらわなければいけません)。他国では、留学生の卒業後の就労に強い制限をかけている国もあることを考えると、日本の高等教育機関で学んだ知識を活かして日本で就職したいと思う留学生にとっては、日本留学が一定のメリットであると言えるでしょう。

 また、東南アジアには多くの日本企業が進出しています。日本語能力があることで、母国の日本企業への就職が有利になるといったメリットも考えられます。

 

③他先進国と比べると、比較的安く教育を受けることができる

 留学先として不動の人気の誇るアメリカ、アジアからの留学先として距離的にも近いシンガポールやオーストラリアなどと、公立大学の授業料+生活費を比較すると、日本での留学コストが格段に安いと言われています。国によっては、日本の2倍以上のコストがかかる国もあります。

また、日本では留学生に対して週28時間以内のアルバイトを認めているため、留学生の金銭的負担が少ないとも言われています(他国の場合、より制限が強い場合が有り)。

ネパール人が多く住む町:阿佐ヶ谷(東京)

 JR阿佐ヶ谷駅周辺には、日本最大級のネパールコミュニティが形成されています。駅前にはカレー屋やネパール料理には欠かせないスパイス専門店などが立ち並びます。阿佐ヶ谷には、世界で初めてのネパール人学校「エベレスト・インターナショナルスクール・ジャパン」がありますが、ネパール人増加のきっかけの一つとも言われています。

ミャンマー

 2019年6月時点で、日本で暮らすネパール人は28,860名です。(出典:上記法務省「在留外国人人口」)

 日本にミャンマー人が多く来日するようになったのは、ミャンマー全土で民主化要求デモが起こった1988年のことです。激しい反政府運動の混乱の逃れるために、多くのミャンマー人が母国を離れました。その一部のミャンマー人が日本にも来日し、新宿区中井に根付くようになったと言われています。

 現在は、高田馬場が“リトルヤンゴン”と言われていますが、かつては中井がリトルヤンゴンと呼ばれていました。来日したミャンマー人が中井に根付くようになったきっかけが、ポンジーチャウンです。ポンジーチャウンとは、ミャンマー人僧侶が営む寺院であり、アパートの一室に設けられたこじんまりとした寺院でしたが、敬虔深いミャンマー人にとっては聖地のような存在だったのでしょう。心の拠り所を求めて、多くのミャンマー人が集まるようになり、ミャンマー人向けのレストランなども営業されるようになりました。後に、寺院やレストランが高田馬場へと移動したことも相まって、現在では、高田馬場がミャンマーコミュニティとして栄えるようになっています。

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