日本にある有名“チャイナタウン”を調べてみた!|ビザサプリジャーナル

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日本にある有名“チャイナタウン”を調べてみた!

公開日:2020.05.29

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 中国は、古くから日本と関わりが深く、文化や人的交流が盛んな国の1つです。

現在でも、多くの在日中国人の方が日本で生活しており、国籍・地域別在留外国人のうち上位1位、全在留外国人数のうち3割弱を占めるほどです。

出典 出入国在留管理庁発表「令和元年6月末現在における在留外国人数について(速報値)」

 在留中国人が多く居住する地域として、日本三大中華街がある「横浜」「神戸」「長崎」を思い浮かべる方も多いと思います。しかし、実はそれ以外にも日本各地で「チャイナタウン」は形成されているのです!

神奈川県横浜市

日本三大中華街の1つ「横浜中華街」を抱える神奈川県横浜市には、多くの在留外国人、とりわけ在留中国人が居住しています。令和2年4月末時点での在留中国人数は、83,796名にも及びます。横浜市発表 「令和2年外国人の人口」

 

横浜市の中でどこの地域に在留中国人が多い?

横浜市の中でも、横浜中華街がある「中区」をトップとして、中区に隣接する「南区」、南米にルーツを持つ外国人など様々な国の出身者が集まる「鶴見区」の順で、在留中国人が多く居住しています。

*出典 横浜市発表 「令和2年外国人の人口」

横浜の在留中国人が多い理由

 横浜といえば、「横浜中華街」の他にも、異国情緒漂う西洋館が立ち並ぶ「山手地域」など、外国人との交流が盛んであったことが伺える風景が色濃く残っています。なぜ横浜はこんなにも外国とゆかりが深い地域なのでしょうか?

 その理由は、1858年にまでさかのぼります。1858年の日米修好通商条約の翌年、1859年に横浜港が開港しました。開港した横浜には、西洋からやってくる外国人のための居留地が必要となり、「山手地域」における外国人居留地ができました。一方、それまで200年近く鎖国をしてきた日本人にとって、いきなり西洋人が日本に住んで取引を始めるという状況に少なからず戸惑いがありました。そんな、日本人と西洋人の間に立ち、緩衝材的役割を果たしてくれたのが、中国人でした。中国は、日本よりいち早く西洋文化や西洋の言語に触れていたこと、当時の日本人になじみのなかった貿易や商売の仕組みを理解していたこと、そして日本と同じ漢字文化圏であったということで筆談が可能であったためと言われています。

 その後、横浜の外国人居留地の一角に、中国人のための会館や学校が建てられるようになり、「横浜中華街」の原型ができあがります。しかしその頃は、中華街というよりは、欧米や中華の文化など様々な要素が入り混じった街だったようです。現在の横浜と言えば、「横浜中華街」「中華圏文化が溢れる街」というイメージが強いですが、過去はそうではなかったとは驚きですね!ここで、「横浜中華街」の原型ができあがりますが、その後も横浜中華街・在留中国人にとっては試練が続きます。

*日清戦争

商取引の条件を厳しくされたり、居留地撤廃を取り上げられるなどの問題に直面しました。

*関東大震災

1923年の関東大震災では横浜も甚大な被害を受け、建物の崩壊なども相次ぎ、多くの西洋人が横浜の地を離れることとなりました。中国人在留者も多くが帰国することになりましたが、震災後の横浜の急激な復興を受けて、再び戻ってきたり、その際の新来訪者を連れてくることも多く、中国人人口が急増することになりました。

*第二次世界大戦

 空襲などによって横浜の街も大きな被害を受けましたが、戦後は中国からの物資に恵まれたこともあり、飲食店の数を増やしていきます。

 その後は、根岸線開通、東京オリンピック開催、日中国交正常化など、中華街にとって追い風となる出来事が相次ぎ、中華街周辺に観光施設やホテルなどが充実していくようになり、活気あふれる街となっていきました。現在の中国文化溢れる「横浜中華街」には、深い歴史があり、その中で様々な困難を克服してきた過程があったのですね。

~番外編~ 横浜中華街には広東料理が多い!?

 中華料理には一般的に、山東料理、四川料理、広東料理、江蘇料理、浙江料理、安徽料理、湖南料理、福建料理など地方ごとに分けられる料理方法で有名ですよね。実は、横浜中華街には広東料理が多いと言われているのです!横浜開港後に西洋人とともにやってきた中国人の中でも広東出身者が多かったためです。

兵庫県神戸市

 日本三大中華街の1つ「南京中華街」を抱える兵庫県神戸市。令和2年3月末時点での在留中国人数は、13,634名にも及びます。神戸市発表 「データこうべ 月別各種統計表 令和2年3月号」

神戸の在留中国人が多い理由

 1867年の神戸開港に始まります。横浜と同様に、開港に伴って多くの西洋人が神戸の地に在留を始めました。中国人も外国人居留地に隣接する南京町に居を構え、飲食店や雑貨店を始め、「南京町に行けば何でもそろう」と言われるようになるほど評判が高く、「関西の台所」とも言われるほどでした。

 第二次世界大戦後は、空襲で焼け野原となった南京町を再興させようと、南京町商店街振興組合が設立され、中国人と日本人が協力しあいながら、今現在のような繁栄が復活しました。

長崎県長崎市

 日本三大中華街の1つ「長崎新地中華街」を抱える長崎県長崎市。平成30年時点での在留中国人数は、1,143名です。長崎市発表 「平成30年版長崎市統計年鑑(統計表)」

長崎の在留中国人が多い理由

 長崎といえば、日本の鎖国時代においても唯一外国との接点が持てた地「出島」が有名ですね。長崎新地中華街の成立にも、出島は大きく関わっています。出島に住むオランダ人と同様に中国人にも居留地が設けられており、中国人は比較的自由に出入りができたと言われています。当時の長崎市の人口が約6万人、それに比べて長崎市に在住する中国人が1万人との記録も残っており、いかに多くの中国人が生活していたかが分かりますね。

ちなみに、長崎新地中華街の約250mもの石畳は、長崎市の姉妹都市である福建省福州市の協力で出来上がったものなんです。

埼玉県西川口

 最近、埼玉県西川口が近年、“リトルチャイナタウン”と呼ばれていることをご存知ですか?平成31年における川口市内の在留中国人数は、21,036人にものぼります。川口市発表 「川口市統計書」

 西川口のある川口市は、中国人だけではなく多くの国籍の外国人が在住しています。同年の全体出生数が4,833人、そのうち外国人出生数が428人なので、出生数100人中8.8人が外国人出生数ということになります。なので、西川口の小学校では3分の1が外国人児童ということもあるそうです。

西川口の街はどんな状態?

 JR京浜東北線「西川口」駅の西口辺りに、多く中華料理屋さんが立ち並ぶエリアがあります。その他にも、中華の食材店、中国語の通じる不動産屋、中国語の歌が歌えるカラオケ屋も見受けられます。中には、中国語で書かれた看板しか掲げていない店舗もあるほどです。

 西川口の特徴として、中国の東北部(瀋陽、ハルピン、長春等)出身者が多いという点があります。立ち並ぶ中華料理の種類も、羊肉を使ったものなど、東北部の中華料理が多いようです。中国東北部と言えば、旧満州と言われる地域です。旧満州時代から、日本との結びつきが強く、中国東北部の人にとって、日本は一番身近な外国と言えるのでしょう。

西川口の在留中国人が多い理由

 西川口に多くの中国人が住むようになった理由はいくつかあります。

(1)芝園団地

芝園団地とは、西川口の隣駅JR蕨駅近くにある、大型UR賃貸物件です。

過去にさかのぼると、今現在よりも外国人にとって部屋が借りにくい時代がありました。そんな中、独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)の芝園団地が、中長期在留者にも簡単に部屋を貸してくれていたため、多くの外国人が集まりました。

(2)中国の経済成長

中国国内の経済成長によって、中国人による日本不動産投資の増加も一因と言われています。

(3)飲食店のオープンラッシュ

2000年代、西川口の街に多く存在した風営法関連の店が一掃されたことがあります。その際、空きテナントに中国人の飲食店オーナーが殺到し、多くの中国料理店がオープンする結果となりました。首都圏から近く、首都圏よりは家賃が低めという点もプラスに働いたようです。

(4)口コミや報道

在留中国人が増えるにつれて、中国人コミュニティ内で「川口が住みやすい」と口コミが広がったり、“川口がチャイナタウンへ”といったマスコミの報道も相次ぎました。口コミが口コミを呼び、更に多くの在留外国人が生活するようになりました。

東京都豊島区池袋

 東京都豊島区池袋の北口も、“新たなチャイナタウン”と呼ばれ、中国人コミュニティが新しく発生しています。平成31年における豊島区内の在留中国人数は、14,250人にものぼり、区内在留外国人のうち5割弱をも占めます。豊島区発表 「人口と世帯数の月次推移」

池袋の在留中国人が多い理由

(1)周辺に日本語学校が多いこと、(2)都心方面へも埼玉方面へも交通の便が良いこと、(3)駅近くに安く借りられるアパートが多いこと、などが理由として挙げられます。

まとめ

日本に在留する外国人数一位であり、古くから日本と交流が深い中国。日本の各地に“チャイナタウン”と言われる中国人街・中国人コミュニティが存在します。横浜、神戸、長崎のように歴史的な背景がある地域もあれば、川口や池袋のように新しく発生したコミュニティもあります。特に、昔からあるコミュニティでは、戦争・震災といった困難に対して、日本人と手を取り合って復興・拡大してきたため、日本人との繋がりも深いと言えるでしょう。

昔からあるコミュニティであっても、新しくできたコミュニティであっても、日本人と在留外国人が互いに尊重し合って生活できる環境作りが必要ですね。

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