先日、米南部フロリダ州タンパで開かれていた若手バレエダンサーを育てる国際コンクール「ユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)」の審査結果が9日発表され、横浜市在住の小学校6年生がプリコンペティティブ部門(1月1日時点で9~11歳)の男子クラシックで1位に輝いたことが話題になりました。その他にも多くの日本人が参加し、優秀な成績を納めています。
バレエは子供の習いごとランキングでも例年上位に入るなど、日本でも愛されている文化のひとつです。そんなバレエですが、この記事では発祥はどこなのか、どのように発展していったのかなどバレエについて詳しく見ていきたいと思います。
バレエのはじまり
バレエの起源は、ルネサンス期(14〜16世紀)のイタリアと言われています。音楽に合わせてゆっくりとステップを踏むダンス「バロ(Ballo)」が、現在の「クラシック・バレエ」の原型とされ、貴族たちが舞踏会で踊ったのがはじまりです。文化・芸術の再生、大航海時代、宗教改革など、混沌とした時代の中で生まれたバレエは、イタリアのフィレンツェやヴェネチアから西ヨーロッパへと広がっていきます。15世紀の終わりにレオナルド・ダ・ヴィンチが大掛かりな舞台の上演を開催したことがバレエの魅力が他国へ広まるきっかけとなり、また、ルネサンスを代表する芸術家がバレエの発展にも力を注ぎました。
バレエ文化の発展
16世紀後半のフランスでバレエ文化は大きく発展します。「バレエ(Ballet)」の名称は、この時代のフランスで呼ばれるようになりました。この発展の背景にはイタリア・フィレンツェのメディチ家に生まれたカトリーヌという王妃の存在があります。彼女は幼いころからバレエが大好きで、フランス王アンリ2世との結婚後、宮廷内で舞踏会を何度も開催し、フランス国内にバレエの魅力を広めました。結婚してからの20年間で、約800のバレエ作品が誕生したと言われています。
その後、太陽王と称されたルイ14世がバレエ文化を確立します。彼は自らが踊るほどバレエを愛していて、1669年、パリに「オペラ座」を建設しました。1713年には、プロのバレエダンサーを養成する「オペラ座バレエ学校」を開校し、バレエは舞台芸術として体系化されていきました。つま先で立つポワントシューズの始まりもこの頃です。
18世紀の後半に起こったフランス革命は、バレエ文化にも大きな影響を与えました。それまで王侯貴族を中心に発展してきたバレエでしたが、伝統や権威に反発し自由で神秘的なものを重んじるロマン主義が広まり、庶民が主役となる「ロマンティック・バレエ」が登場し、バレエの存在がフランスの人々に身近なものになりました。しかし、1873年のオペラ座の火災によって勢いを失います。
ロシアとバレエ
オペラ座が焼失した後、ロシアの地でバレエはめざましく発展しました。ロシア皇帝は、フランスの宮廷からもたらされたバレエを積極的に庇護し、バレエ学校を創設するなどバレエ文化の発展に情熱を注いだのです。19世紀中頃、フランスから招いた振付師のマリウス・プティパは、作曲家のチャイコフスキーとコンビを組み、「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」などクラシック・バレエの大作を発表します。この3つの作品は3大バレエと呼ばれ、現在も人気が高い演目となっています。
さいごに
今回はバレエの発祥から、その文化が発展していく流れを見ていきました。ルイ14世が創設したパリオペラ座バレエ学校が母体となっているパリオペラ座バレエ団では、今年3月に東京出身のバレエダンサー、オニール八菜さんが日本人初となる最高位エトワールに任命されました。最近では多くの日本人ダンサーが海外のバレエ団で活躍しています。
次回はこのバレエ文化がどのように日本に入ってきて、発展したのかを見ていきたいと思います。