今回は、渋谷ヒカリエに本社を構える株式会社medibaの小原聖誉氏にお話を伺った。小原氏といえば、スマートフォンゲーム向けメディア“ゲームギフト”のAppBroadCast社の元社長で、現在はKDDIグループであるmediba社に勤務している。理由は株式を譲渡したため。
起業前の話から譲渡後の話まで多くのことを小原氏に語っていただいた。
“バイアウト”という言葉がスタートアップ業界では華々しく語られるが、そののちに起業家がどのように活動しているのか実態を聞くことは少ない。果たしていかに。
小原 聖誉氏
大学在学時代にモバイルメディアのベンチャーを創業し取締役副社長に就任、その後モバイルコンテンツのコンサルティング(当時)会社イントロムで取締役副社長に就任、2013年に株式会社AppBroadCastを創業。スマートフォンゲームのマーケティング支援事業を独自フレームワークに基づいて展開した。立ち上げたメディアは2年で400万ダウンロードを超える。2016年4月より株式会社medibaに会社ごと合流。
起業前夜。応援してくれる人がいる素晴らしさ
1998年フィーチャーフォン黎明期にモバイルメディア立ち上げを行なった後にイントロムへ。その会社の創世記を支えた小原氏は、同社CEOの森本氏との出会いをこう語る。
僕はゲームアプリにずっと携わってきました。前職のクライアントであった森本氏に、退職の挨拶で連絡してみたところ、すぐに返信があり食事のお誘いがありました。
小原氏は、森本氏を「温かく人間として好きな方」と評する。
食事の席で「一緒に働こう」と言っていただいたのですが、今までの経歴を活かして起業を検討していた私は迷っていました。
すると、「やりたいことを応援する。起業を応援する」という森本氏から、「辞める前提で構わない。一緒に働こう」と誘われたそう。
ビジネスのノウハウはあったつもりだったのですが、資金がなかった私にはとてもありがたかったです。
入社後は常に腹を割って議論出来る関係でした。ですから結果として考えていた以上に長く在籍することになりました。
しかも、いよいよ起業のタイミングになった時にはイントロムで自分が担当していた事業を森本さんの厚意で譲っていただきました。起業するとまず売上基盤を作らなければならないですよね。最初からそれがあった訳ですから非常にスムースに取り組むべき事業に集中できました。この経験を頂いたので、僕も自分の会社で一緒に働く人間に対して公私ともにやりたいことを応援したいと思うに至りました。
経験を活かした、熱のこもったプレゼン
今まで培ったノウハウについてこう語る。
AIDMAのようなユーザライフサイクルはスマホのアプリでも通用します。それが「PIPAS」『Pre(事前認知・予約)、Install(インストール)、Play(継続起動)、Action(課金)、Sleep(アンインストール)』という、僕が顧客のアプリ分析で使っていたロジックです。
創業を検討していた2012年のスマホゲーム市場は成長期であったため、マーケティングはストアランキング順位上げに代表される「インストール最大化」にフォーカスされていました。ですが、市場成熟に伴い、インストールフェーズ前後の課題が認識されていくと考えました。
つまり、最終的な課題は、プロセスごとにいかに最適なマーケティングをし、それぞれがいかに最大効果を生み出していけるようになるか、です。しかし、まだ成長途上期にある市場ではその課題は話題にもされないため、その課題解決にあたることは、競争者も少なく先行者メリットを得られるというのが見立てでした。
そのロジックを活かして起業したのがAppBroadCast社(以下ABC)である。
チャンスは創業初月に早速巡ってくる。それは、KDDIでベンチャー支援等の新規領域を管轄していた江幡氏に会いたくて参加した、大企業とベンチャーのマッチングイベントでのこと。
キャリアであるKDDIは、EZボタンを押すことでauポータルという巨大なプラットフォームへ誘導することができたフィーチャーフォンから、EZボタンがなくなるスマホへ移行することに危機感を覚えているだろうと小原氏は考えていた。キーマンが参加するそのイベントは、課題解決への提案をするにはベストな場だと捉え、小原氏はその場で、
「本当にユーザがアクセスしたくなるサービスを提供するべきである。大企業であるKDDIが自社で開発するよりも、自由な発想を持つベンチャー企業のほうが企画開発に適しているのではないか」
と、江幡氏に直接プレゼンしたのだ。続けて小原氏は今までの経験から、次のように述べた。
「僕が2001年から経験したモバイルゲーム市場の成長スピードやフィーチャーフォンのソーシャルゲームの社会問題を踏まえると、これからスマホゲームはパラダイムシフトが起こる。UXと端末スペックの進化、フィーチャーフォンで証明されているTVCMを通じたマス集客手法が使われて行くことを考えると、スマホゲームは必ずゲーム業界のど真ん中になる。」
小原氏は、過去の事例とその当時のゲーム業界の課題を紹介しつつ、KDDIと正面から議論を行なったのだ。
当時、モバイルゲームを紹介する雑誌が流行していた。ゲームのアイテムがもらえるクーポンの付いた雑誌は、右肩下がりの出版業界の中でひときわ大きく出版部数が伸びていた。
しかし雑誌を購入している人たちは、ゲームを紹介する記事ではなく、アイテムがもらえるクーポンが目当てだった。小原氏はここに目をつけた。
彼らは雑誌を購入するのではなく、クーポンを買っていました。だったら、オンラインでゲームを紹介するアプリに、無料でクーポンをつければヒットするのは当然ですよね。ゲーム会社もメリットがあれば参画しない理由がない。
前述したPIPASのロジックを考えるとやがてゲーム会社は継続的に利用してくれるユーザが必ず欲しくなる。クーポンを使ってインストールをしてくれるユーザは高いLTV(Life Time Value:顧客生涯価値)が出ることは、ゲーム会社から教えて頂いて知っていました。今回の取り組みによって、ユーザの集客手段が雑誌からWebメディアにとって代わることができれば、短期間で垂直に立ち上がる事業イメージは見えていました。
KDDIも動きは早かった。創業してすぐのABCとすぐさま業務提携を決め、開発に取り掛かり、その半年後には「ゲームギフト」をリリースした。そして初日にアクセスが集中しすぎてサーバーが落ちたのである。
プロモーションは一切していなかったので、初日にサーバーが落ちるとは予想できませんでした。KDDIにはカンカンに怒られましたが、こんなに興奮したことはなかったです。今だから言えますが。
でもKDDIの本気を感じました。なにせKDDI側のプロジェクトメンバーがみんな一緒に徹夜し、早朝には部長がやってきましたからね。嬉しかったことを記憶しています。
当時を振り返る小原氏は、とても楽しそうな表情をしていた。
そして株式譲渡へ
2015年8月、とある有名なゲームアプリがアプリストアから削除された。理由は規約違反。当時、外部からクーポンを発行して無料で課金アイテムをプレゼントすることが、規約に違反するかどうか判断に困るところであった。
ゲームアプリの業界では大きな問題になりました。当時クーポンを発行してアプリの利用者数を増やすことは当初僕が想定していた以上に業界の常識になっていましたから。日本ではゲーム会社が工夫してプロモーション施策を行っていた訳ですが、ストア側はゲーム会社が工夫してソリューションを作ることを歓迎しなかったように思います。
本来であればお金を払って入手してもらうはずだった「課金」アイテムを無料でプレゼントしていたということは、ストアにとっては収益が落ちると解釈する可能性がある、ということだ。
ゲーム会社もマーケティング戦略を変えなければならなくなったわけですが、それ以上に我々のビジネスにとっては痛手でした。無料でクーポンをつけていたことが売りで、大きなプラットフォームになりつつあり、上場に向けて準備もしていましたから。
とはいえ、キャッシュポイントは別の場所で立てており、当初の想定よりもそちらへの影響が軽微であったのが不幸中の幸いでした。もっとも、戦略は大きく変えなければならないことには変わりはありません。社員には動揺が伝わらないように当時の経営陣と打開の努力を続けながらも、上場する前で良かったじゃないかと自分の心を慰めていましたね・・。
このときに、小原氏は新たな資金調達を考え始めたという。クーポンに変わるユーザ価値を検討する時間を稼ぐことで、ABCを再成長させることにしたのだ。
資金調達の過程の結果、KDDIグループがauゲームなどのゲーム事業を戦略的にmedibaに寄せ、そこにゲームギフトを持つABCが合流することによりゲーム事業の垂直立ち上げを狙う構想を実現させることに着地していった。
今のミッション・これからのミッション
AppBroadCast社はmediba社に完全吸収されている。小原氏は、新たなミッションのもと、medibaの社長室ビジネスエバンジェリストとして活動している。
我々medibaはゲーム事業を手にしたこともあり、3期連続増収増益を実現しています。auゲーム・ゲームギフト・VBXの3つのゲーム関連事業の売上比率は全社の15%を超え、来期さらに売上が伸びると想定出来ます。ゲーム事業は「超メイン事業」です。
過去ABC単体ではメディアを通じたマーケティング支援のみでしたが、今は課金プラットフォームを通じたビジネス支援も可能になりました。ゲーム会社のソリューションパートナーになったと言って差し支えありません。今後は通信会社だからこそ出来ることも含め総合的にソリューション提供をしていきますよ。
なるほど、ABC合流はうまくいっているように見える。株式譲渡の直後からそうだったのだろうか。
いえ、合流してから8ヶ月くらいはどうひいき目で見ても自分は使い物になっていませんでした。パフォーマンスが出ないことに悩んで体が動かず1ヶ月以上休んだ期間があります。
自分は過去30人以上の会社で働いた経験もなく、例えば稟議という言葉はマンガの中の話でした。一般的な会社組織が実際どう運営されているのかもわからないまま、ABCを経営していたつもりになっていました。勝手に拡大する市場だからこそ、売上が伸びていただけにもかかわらず、自分の手腕だと錯覚していたのです。
大きなグループに入ったことによって、まず個人として環境の変化がありました。加えて、自分が元の会社を子会社として経営していくことは、輪をかけて難易度が高いものになっていました。徐々に悪循環に入り、長期休暇に入るほどの精神状態になるのは時間の問題でした。まさに自爆といった感じです。
今の小原氏の目の輝きを見ると当時のそのような印象は想像出来ない。
どのように解決していったのだろうか。
まず第一にmediba社長の海本が自分としっかり向き合ってくれたことが最も大きいです。それによって、自爆した背景の総括が自分の中で出来ました。よくよく考えてみると”合流後の起業家あるある”のようなことだと客観視ができ、自分が特別に悪いわけでもないと思えました。そうなると、自分の初期の失敗経験は他の起業家の役にも立つだろうと思え、その経験を後進の方々に伝えねばならないという社会的な義務感が湧いてきました。
そして第二に適材適所視点で、私の新たな役割をみつけたことです。
medibaを客観的に見てみると、強みはキャリアグレードでの運用や計数管理、堅実な営業など着実な力です。一方で、自ら新たな課題を設定し市場を巻き込んで突破する力については残念ながら十分とは言えません。
このような、市場における事業機会獲得の不得手というmedibaの経営課題を、むしろ伸びしろ部分として戦略的にフォーカスすることにしました。そのために社長直下で経営課題にあたる社長室が新設され、そこに所属することになった私には、ゲーム事業に限らず、事業横断的に動くことが求められました。
この要請によって、僕はABCという組織がそもそも合流する必然性を再認識することができ、ある種の使命感が沸いたことで、ライフワーク的にも頑張りたいと心から思うようになりました。この体制になって半年が経つのですが、適材適所による掛け算で市場戦略に動こうという精神がmedibaでは当たり前になりつつある印象があります。
今年度の全社方針が”全社一丸”というスローガンなのですがmediba社長の海本はもともとこのような状態になることを信じていたような気がします。
今後の目標について以下のように語った。
僕のmedibaでのミッションは”創るを作る”です。
チャレンジマインドを根付かせるとともに、チャレンジが生まれる仕組みを作りたい。やればできる人はmedibaにはたくさんいます。そして、僕はmedibaの社員とよく飲むのですが率直にみんな大好きです。彼らの背中を押して一緒に成長したい。
「何をやるかより誰とやるか」と言う話をよく聞きますが、今のmediba社員はその点たまらない気持ちになりますよ。新卒入社メンバーも目をキラキラさせて向き合ってくれますし、シニアな社員の中にも自らを鼓舞して挑戦しようする人も出てきました。
みんな素直なんです。この文化はお金では買えません。素直な気持ちで自らにとっての挑戦をしていけば各自のパイが増え、積み重なったときは、かなり大きいダイナミズムになり得ると思います。400名を超える所帯ですから
失敗しても良いんです。考え抜いて行動したら次の成功に繋がりますよね。
我々には短期で失敗しても中期で成功すれば大丈夫なだけの資本はあります。大きな資本があるなかで、新規開発に取り組むことができるという点では、ベンチャー企業より恵まれているんです。
今のうちにみんなの挑戦を応援していきたいなと思います。そのためには自分も率先垂範で新規に挑戦します。
最も気になる点を聞いてみた。
また起業したくならないのか。
お伝えしていませんでしたが、僕は強制的に残されているのではなく、自分の意思でmedibaにいます。社長が好きで社員が好きです。
アラフォーになってきて自分のビジネスの軸が見えてきました。僕が起業家として挑戦していた理由は、人に好ましい驚きを感じてもらいたいからです。一見するとダメそうなんだけど目利きをしてみると見所があることがあって、努力のかけ方を工夫するとやがて業界標準になっちゃったりする。そういうものをチームで作っていく活動がたまらないんです。だから僕にとって起業は手段であって、目的ではありません。
でも、もちろん再度の起業の可能性を否定はしません。起業するかもしれない。でもそれはmediba社員である自分のキャリアパスとして示すものであり、今のmediba社員や、世の中の社内プロデューサーから見て好ましい驚きを感じていただける形を目指したいと思っています。そんな活動を横目で見て頂きながら社内外の挑戦が増えれば、僕のように凡庸な人間でも世の役に立てたと言えるのではないかなと思っています。
編集後記
バイアウトを一つのゴールとしている起業家の方も多いなか、ゴールとせずに自分の役割や人生のテーマを明確に捉えて、さらなる行動を起こしている小原氏から私は多くを学ばせていただいた。今回のインタビューで印象的だったことは、小原氏が起業まで15年かかったからこそ出た「突飛なものをやるより、普通のことを地道に実直にやり続けること」という言葉だった。