あなたが経営者なら、KPIという言葉はご存知のはずです。KPIは目標達成のための「重要業績評価指数」ですね。
では「あなたの人生のKPIはなに?」と聞かれたら、なんと答えるでしょうか。
大阪で駄菓子バーを経営する櫨山貴之(はぜやま たかゆき)さんは、バーの経営だけでなく、日本駄菓子協会理事、旅行会社、コンサルタントと様々な側面を持ち、この問を自分にも、他者にも投げかけています。
「自分が提供できる価値は何か。自分はなにをしていると胸が踊るのか。自分はどうありたいか」
徹底的にこれらのテーマをつきつめてきた櫨山さんの経営スタイルと、そのユニークな発想力の秘密を探ってみました。
プロフィール
櫨山貴之(はぜやま たかゆき)
1985年大阪生まれ。株式会社ノーザンワークス代表取締役社長、株式会社AZITO代表取締役。高校卒業後、様々なアルバイトを経て、2011年8月、26歳で「放課後駄菓子バーA-55」を大阪・梅田にて開業。福岡県、京都府にフランチャイズ展開中。
日本駄菓子協会代表理事、日本エスコート協会専務理事、コンサルタント、カウンセラーなどさまざまな側面を持ち、ユニークな視点から多様な事業を日夜考案し、展開している。
10年後の8月にみんなが集える、大人の放課後
大阪、梅田にある「放課後駄菓子バーA-55」。店内は駄菓子はもちろん、たくさんの懐かしい本やマンガ、おもちゃがたくさん!
1980〜90年代生まれの人にとってはもちろん、その世代でなくても胸アツなものがいっぱいで、ワクワクするのにどこかノスタルジーも感じさせる独特な雰囲気が漂います。
そもそも、なぜ駄菓子をテーマにしたお店をオープンさせたのでしょう?
「経緯は色々あります。まず、経営するうえで大事なポイントが、人に対してどんな価値が提供できるのかということと、もう1つは自分が何に対して嬉しいとか楽しいとか思うのかっていうこと。
自分が何をしてる時に嬉しいか、楽しいか、ドヤ顔になるかが大切だと思うんですよ。できることとしたいことと、ニーズのあることとのバランスがとれていないと長続きしないし不幸じゃないですか。
僕、高校の時に友達とカラオケに行って懐メロ歌ったんです。そしたら、『うわあそれ懐かしいなー!』って盛り上がったんですよ。で、そう言う友達の顔って笑顔なんですよね。笑顔が見えるってことは価値が提供できてるっていうことなんですよ。
それで『それ懐かしいなー!』って言われた時に僕は『せやろ』って言ってドヤ顔になる。それって自分の感情も動いてる訳ですよ。人に対して『懐かしい』を提供すると、人は喜ぶ、それに対して僕も嬉しいってことを、僕は高校生の時に気づいたんです。
ここはそういう店です。『懐かしい」ものや懐かしい駄菓子があれば、人は喜ぶし笑顔になる。『これ懐かしいわ』ってお客さんが喜んだ時に、僕はドヤ顔になってるっていうことですよ。」
ご自身の、今につながる原体験から導き出されたテーマだったんですね。当時の些細な出来事と、そのときのご自身の気持ちの動きを詳細に記憶されていることに驚かされます。
そして、お店の名前にももちろん意味があります。
「A-55っていう名前について言うと、パーティーでもお店でも、コンセプトがあったほうが面白いと思った。ここのコンセプトは『大人の放課後』です。
それは、2011年の3月にこのお店を出そうって決めて8月にオープンした理由にもつながります。ZONEってガールズバンドがいたでしょう。有名な曲『secret base』で『10年後の8月、また出会えるのを信じて』っていう歌詞があるじゃないですか。あの曲が出たのが2001年8月なんですよ。で、10年後の8月っていうのは2011年8月でしょ。10年後の8月にまたここで集まって『懐かしいな、久しぶりやな』っていう話ができる店っていうコンセプトなんですよ、だからお店のロゴには「secret base」って書いてあるんです。」
「シークレットベースって秘密基地のことでしょ、10アフタースクールって10年ぶりの放課後。つまり、秘密基地A-55に集まって10年振りの放課後をするっていうコンセプトなんです。だから8月にオープンを間に合わせた。
じゃあA-55って何かって言うと、10年経って僕らは大人になって仕事をしてる訳ですよ、じゃあ放課後じゃなくてアフター5でしょ。アフター5にGo!って、『仕事終わりに行こうぜ』っていう店になるように、After5にGo(5)、仕事終わりに行こうぜ、ですよ。」
なんとも、細かいこだわりがこの短い店名に込められているんですね!しかしその名の通り、ワクワクしながら誰かと一緒に行きたくなるお店です。そしてここにただようノスタルジーも、ZONEの「secret base」を聴いたときに感じる切なさにも通じるものがありますね。
そんな櫨山さんは、高校卒業後に1度就職します。そして、働きながら自分に何ができるかをずっと考え続けていました。その後、会社をやめてフリーターになり、飲食店で働くうちにお店を出すということを意識しはじめたのが20歳頃のことでした。
その後も、飲食に限らず、事務や接客など様々なアルバイトを掛け持ちしながら資金を作り、いろいろな出会いや勉強、体験をし、A-55のオープンにつながる具体的なアイデアを固めていったのです。
櫨山さんが今に至るまでには、もちろん他にもいろんなルーツがあります。例えば小学校のときに卒業アルバムに書いた将来の夢は「実業家」だったとか!
「その時に実業家になりたかったかっていうと、別にそうじゃなかったんですけどね。
当時、隣の席にメガネかけた私立の学校に行くような頭いい女の子がいて、その子が実業家って書いてたんです。
で、アホな僕が実業家って何なんって聞いたら、その子は実業家ってお金持ちのことだよって教えてくれたんですよね。ああ、俺もなりたいって思って、そう書いた。
あとは家庭環境ですね。小学校に入る前に両親が離婚して、僕は母についていった。その後、母にも彼氏のような、僕の父親代わりのような存在が何人か現れて。僕は彼らからものを与えられることによって愛情を注いでもらってたんです。そうやって愛情表現を受けてきたので、もの=愛情なんです。たくさん物を買ってもらったっていうのは、イコールお金じゃないですか。たくさんお金があればたくさんものを買ってあげられるっていう愛情表現です。
人にプレゼントをするためにお金が必要、お金をもらうためには、人に価値を提供しなければいけないっていうことは、中学や高校の時からずっと考えてることです。
だから、A-55にはこんなにものが溢れてるんです。 『懐かしい』って、つまり『知ってるでしょう』って言えるものばかりで、 なんでみんな知ってるかって、過去に見たことがあるから。親やおじいちゃんおばあちゃんに買ってもらったり見たりしたから知ってるんですよね。それって愛があるから起きることじゃないですか。だから 僕はこの店に物をたくさん置いて愛が溢れてる、愛を注がれてココまで生きてきたって言うのを表現したいんですよ。」
お話を聴いていると、子どもの頃から今に至るまで、強い1本の線でしっかりとポリシーが貫かれていることがわかります。それのひとつめのアウトプットとなったA-55は、櫨山さんの内面がすべて詰まっているとも言えるかもしれませんね。
フレーム化してスワイプし、さらに笑顔を増やす
A-55のコンセプトに見られるように、櫨山さんはいろんなものに意味付けをして、まるで連想ゲームのようにアイデアを飛躍させ、形にするのが得意です。
しかしそれはどこまでいっても自分が楽しみたいから。バーだけでなくさまざまなプロジェクトをすすめる櫨山さんは「これからの時代のイケてるビジネスは、遊びとか面白いことから始まり、だからこそ人が巻き込まれていって大きいビジネスになる」と言います。その言葉通り、彼の手がけるものには一見冗談のように見えても、深い意味が込められています。
たとえばそのひとつは「日本駄菓子協会」。櫨山さんはその理事を務めています。
「駄菓子屋さんって減っていってますよね。子供も減っていってるから、 田舎の方は町も縮小して販路も縮小して、倒産とか生産終了とかあって駄菓子屋さんはしんどいんです。このままいくと駄菓子がなくなってしまう。
駄菓子って何かって『概念』なんですよ。
たとえば、うまい棒は駄菓子だけど、うまい棒だけでは駄菓子じゃないじゃないですか。駄菓子屋さんにいってうまい棒しか売ってなかったらそれはうまい棒屋さんでしょ?
僕は、駄菓子を『100円で選べるワクワク楽しい笑顔の時空間』って定義してるんです。 だから名刺の表に駄菓子の写真は載ってない。100円をもらった時から駄菓子のワクワクは始まってるんです。 」
「駄菓子屋さんに行くときは、グミを一個買うとかポテチを一個買うとかじゃなくって、 100円もらって行って『どうしよう、うまい棒と、10円ガムと、 キャベツ太郎と…でもこれ買ったらこれ買われへん』みたいな、 計算したり迷ったりすることも、駄菓子には含まれてる。そして、 お菓子を買って友達と食べる時間まで駄菓子というふうに僕は定義してるんです。 だから駄菓子っていうのはお菓子そのものの話じゃなくてその時間とか空間の話なんです。
だからそう考えると、駄菓子屋さんにうまい棒とキャベツ太郎しかなかったらワクワクもない。たくさんの種類がいろいろあるのが駄菓子なんです。だから僕たちの子供とか孫の世代まで、たくさんの駄菓子を選べるワクワクできる状態を残していくというのが駄菓子協会の理念なんです。」
そう言われてみると確かに、駄菓子には他のお菓子とはまた違う特性がありますよね。そこには必ずワクワクする気持ちや買いに行くときの体験が紐付きます。それは駄菓子という「もの」を通じて生み出される「ユーザー体験」。櫨山さんの言葉でいうと「100円で選べるワクワク楽しい笑顔の時空間」となる駄菓子は、今で言うUXの先駆けだったのかも・・・・!
産業が進化・拡大するにつれて削ぎ落とされてしまいがちな「ワクワク」や「おもしろさ」などの数値化できない価値の部分をおもしろがることを櫨山さんはビジネスをするうえでこだわっているようです。
「一般社団法人夜景観光コンベンション・ビューローっていう組織があって、それに『夜景検定』っていうのがあるんですよ。協会が作った夜景にまつわる超難しい問題が試験になってて、6000円払ってそれを受けたら夜景検定◯級っていうのが認定されるんです。たとえば女の子と喋ってるときに『資格取ろうと思って勉強してるねん』『なんの?』『夜景検定』って、おもしろくないですか?(笑)
夜景検定って何かって、遊びですよ。そして夜景っていうのも概念で、だれのものでもないわけで、それに対して手を挙げる人がいたわけです。そこで形を作ってしまったらそれが定義になり、おもしろがる人が6000円払って試験を受け、ネタにする。そのビジネスをフレーム化したら、夜景以外でも考えられるんじゃないかと思ってスワイプして僕が思いついたのが、『日本エスコート協会』だったんです。
エスコートも面白い概念だなと思った。目指すのは、女性にとって『隣にいても恥ずかしくない男』です。
半分冗談で始めたことですけど、どう考えたってスマートにエスコートできるかっこいい男が増えた方がいいじゃないですか。 それって大げさに言ったら、結婚したがらない人とか少子化とかにも貢献できるかもしれない。さらにそもそも何で僕らがエスコート協会をやってるかって、それはモテたいからですよ。だからやる理由があるんです。男のためにも女のためにも、これからの社会のために大切だと思う。」
櫨山さんがこだわっているのは、高校生の時にカラオケで感じたご自身の「ドヤ顔」な気持ちはもちろん、そこで目の前の人がいかに笑顔になってくれるかということ。一見ネタのように見えるプロジェクトも、ノリだけで終わらせない「価値の提供=笑顔」のポリシーが貫かれています。
この「ネタみたいだけどコアな部分はマジ」なアンビバレントな側面が、櫨山さんの魅力でもあります。
「豪」として生きるこれからのこと
A-55は梅田以外にもフランチャイズで福岡と京都にそれぞれ店舗があります。一風変わった協会を立ち上げ、さらに今年は旅行会社のAZITOを設立。続々とユニークな事業を展開する櫨山さんが次にめざしているのはどんなことなのでしょうか。
「ひとつはコンサル業です。僕は店舗経営における集客のコンサルティングもしていて、それについては今、本を執筆中です。
あと、僕は自由に生きてるわけですよ。したいことが出来てるし、それで食えている。するとどうやったらそんな生き方出来るの?と言われるようになった。仕事を辞めようと思ってるとか、仕事や毎日が面白くないとか、自分でも何かやろうと思ってるとか色々相談を受けるので、そこでカウンセリングしたりコーチングしたりもします。これから進みたいのはそっちかなぁと。」
飲食店経営とはまたまったくイメージが変わっていきますね、と言うと櫨山さんは「イメージは変えていく」と答えます。
櫨山さんには実はもうひとつ名前があります。それは「櫨山 豪」。旅行会社のAZITOやカウンセラーとしては、こちらの名前を名乗っています。
なぜ名前を変える必要があったのでしょうか。
「『豪』っていう名前から連想するのは、強くてオスっぽくて強引なイメージでしょう?本名の『貴之』にはないイメージだなと一昨年ぐらいに思いついて、そこから豪として生きてるんで、今は半々な、移行期間みたいな感じなんですけど。
一昨年2016年に、とあるきっかけがあって、僕はそれまでの人生を言語化して説明できるようになった。高校生の頃のエピソードのように記憶はすごく鮮明だし、なにが起きたかということははっきり覚えているんだけど、そこで起きた自分のなかでの変化やなぜそう思ったのか、なぜそう行動したのかを言語化するスキルを当時の僕は持っていなくて。でもそれができるようになったことで、僕はなぜ自分がこうなれたのかということを人に説明できるようになったんです。そのことは、すごく大きな転機になって人生が変わり始めた。
そして、2016年といえばAmazon Go、ポケモンGo、Alpha Goが出てきた年でもあります。これらの『Go』はこれまでとは違う未来を見せてくれました。未来が変わる、そんな時代にGoだ!と。そこで僕も自分っぽくない『Go』という名前を名乗ろうと思ったんです。そう考えると店の名前にも『Go』は含まれているし、僕は結局『Go』が好きなんですよね。」
コンセプチュアルなもの・こと作りが得意な櫨山さんですが、「感じる」こととそれを「言語化する」という両輪のスキルを得たことで、すでにあったその能力は飛躍したのでしょう。どんな仕事でも、それをうまく人に説明して伝えられなければ成り立ちません。そして、櫨山さんの生き方や考え方に興味を持つ人に対して、それを言語化して伝えることで「カウンセリング」という新たな価値を生み出すことにもなったのです。
「みんなすごく真面目なんですよね。真面目やしいい子ちゃんやし、 嫌われたくないと思ってる。他人の期待に応えようとして、他人のものさしで生きて。でもそこに自分のものさしとのズレがあるから悩むわけでしょ。
心は正直だから、それに抵抗して叫んでるんです。だから『あなたはどうしたいの?』という話をします。僕は『心の叫びのカウンセラー』なんです。」
これまで、いろんなことを手がけている櫨山さんですが、貫かれているコンセプトはブレがなく、幼少期にまでルーツを遡ってお話してくださいました。しかし、ここまでブレずに事業展開できるというのも一つの能力。そんなにブレないのはなぜなんですか?と質問してみると、次のように返してくださいました。
「僕は、自分の中で何が大切かっていうのを知ってるからじゃないですかね。 最近僕がよく言うのは人生の KPI が何なのか?っていうことです。 自分の人生でどの指数が大事かを知ってるのは大事なこと。
僕は今は駄菓子バーをやってる櫨山ですけど、本来は『面白い事を色々やってる櫨山』って言われたいんです。なにかおもしろいプロダクトがあって、『これやってるの誰だろう?』ってなった時に、また櫨山、って言われたい。 どれだけ面白いプロダクトを生み出したかという指数で僕は見られたいと思ってるんです。」
言い換えれば、「◯◯といえばあの人」と言われる◯◯の部分が自分はなんなのか、ということですね。確かに、それがはっきりすれば自分のあり方やすべきことも、明確になっていきそうです。
そしてそれが見つかったとき、あなたの生き方に一貫性を与え、信頼を勝ち得るための武器にもなるはず。
「人生のKPI」、ぜひ考え、言語化してみてください。