今の自分を変えたくて、自分の全てを投げ捨て、これまでとは違った環境に飛び込む勇気はあるだろうか?
ましてや、良い大学を卒業し、一流企業に勤めてしまえば尚更である。
若いから出来た事と言われてしまえば、それまでの話だが、シリコンバレーへの「憧れ」だけで英語も話せないまま、単身渡米する決断は中々出来る事ではない。
そんなバイタリティ溢れる青年がリスクを取って現地で得たものと、彼のこれからのお話を聞きました。
山田 俊輔 氏
大学卒業後、ソフトバンクへ入社。その後1年で退社、サンフランシスコへ渡米。
複数のメディアで現地の一次情報を取り扱うライター活動をおこなう傍ら、現地ユーチューバーとしてシードステージの起業家100人にインタビューを実施。
帰国後、フリーランス活動を経て、株式会社Ciao Technologiesを設立。
2017年、電源&WiFiツカエル口コミサイト「spacehacker」をローンチ。
未来が見えることに恐れを抱いた会社員時代
> 新卒でソフトバンクという超大手に入社したわけですが、1年で退社されたのはどうしてですか?
一言で言えば、自分の未来が見えてしまう感覚を持ったのが1番の理由です。
仕事への不満というよりは、その組織の中でポスト(役職)を争う姿や、先輩社員を見ていて良い意味で自分の会社の中での未来が見えてしまう事に違和感を感じたのが、きっかけです。
丁度そのタイミングで読んでいた岡本太郎の「自分の中に毒を持て」という書籍の中で、自分を変えるなら会社辞めろ、と書いてあったのも理由かもしれません。
私のまわりの起業仲間でも、あの書籍に影響を受けている人は多いです(笑)
退職 → 単身サンフランシスコへ渡米
※当時の写真
> そこから、現在に至るまでにサンフランシスコに渡米されていますが、そこに至った経緯も教えてください
ソフトバンクを辞めた時は「起業します」と上司に言ったものの、実際どの分野で起業するかは全く考えていませんでした。ほとんど勢いでした(笑)
サンフランシスコ=シリコンバレー=ITの最先端=行ってみたい!といった感情と、向こうで流行っているモノを日本に逆輸入すればビジネスとしていけるのではないか?といった安直な考えで向こうにいくことを決めました。
> 実際、渡米して合計で1年ほど向こうで過ごされているとの事ですが、現地ではどんな事をしていたのですか?
初めは、ESTA(※)を利用した3ヶ月間を現地で過ごしました。
そこではスタートアップが集まるカンファレンスに参加し、
起業を目指す人たちとの交流や、彼らのビジネスアイデアに積極的に触れていました。
気がついたら3ヶ月目には、自分もサービスの構想を練り、プロトを作っては、ピッチに出る側の立場になっていましたけど。
※電子渡航認証システム(Electronic System for Travel Authorizationの略称)
事前に認証を受けると、観光やビジネスなど90日以内の短期の滞在が目的の場合、ビザなしでアメリカを訪問できます。
> すごいですね(笑)でも1度は国内に戻られているんですね、そこからもう1度現地に戻ったのは何かきっかけがあったのですか?
現地のライターをやらないか?と知人に誘われたのがきっかけでした。
実は、現地に居た3ヶ月の間でblogを書いていたのですが、そのblogの記事を拾ってもらい、幾つかのメディアから仕事を頂けることが決まり、もう1度行こう!と決意しました。
そこから次の渡米タイミングで、シリコンバレーの起業家インタビューのコンテンツをYoutubeで開始するのですが、そのアイデアに繋がったのも、blog内で起業家インタビューをしていたのが、きっかけでしたね。
2度目のサンフランシスコ、そこでの学び
> 2度目の渡米でやっていたことを教えてください
現地の1次情報を届けるライターとしての活動と、Silicon Valley’s FREERIDERというYouTubeチャンネルを作って、現地にいる起業家のインタビューを動画配信していました。
インタビューした起業家のステージは大小様々ですが、滞在期間中で合計100人にはインタビューを行いました。
> 100人ですか?その中で思い出に残っているスタートアップはありますか?
決済アプリのSquareにイグジットした会社や、Coffee Meets Begalという向こうでは有名な出会い系アプリを開発してい会社、あとはIndiegogo(クラウドファンディングではKickstarterに並ぶ世界規模のサイト) などがありますね。
> 実際、2度の渡米を経てどんな学びがあったのでしょうか?
一番の学びとしては、自分の中の「恥」を捨てられた事です。
自分を出していかなければいけない環境下での生活は、出来ない事、知らない事が恥ずかしいという感情を捨ててくれました。
自分の恥を捨ててアクションすることによって、今まで取り損ねていたチャンスを掴めることも沢山経験しました。
後は3回目の起業インタビューでの失敗も学びになっていて、
インタビュー中に緊張と不安が出てしまい、それが相手に伝わってインタビューがしどろもどろになってしまったのですが、その時に「どんな時でも虚勢はっていけ!」とインタビュアーに言われてから、自分の中で切り替わりました。
そこからは初対面の相手にも、Hey,What’s Up Guys!!といった調子でしたね(笑)
たくさんの失敗を経て、現サービスへ
> 渡米から今のサービスのローンチまではどんな経緯があったのでしょうか?
帰国後、向こうで作ったサービスを10数社のベンチャーキャピタルにピッチするも振り向いてもらえず、生活もあったので、まずは受託の仕事から始めました。
そこから位置情報の共有アプリ、イベント情報サイト、受託の傍ら、自社サービスをローンチしては、うまくいかないという事を繰り返していました。
元々は共同創業した会社でしたが、気づいたら1人に(笑)
会社といっても、固定オフィスを持たないフリーランスとしての活動と変わりがなかったので、その中で、
・オフィスワークとして使える場所が見つかりにくい。
・(孤独な)フリーランスのコミュニティ・コミュニケーションを作っていきたい
といった想いが芽生え始めたのが、今のspacehackerの原点です。
ノマド・フリーランスにとって必要なサービスを目指す
> 電源&WiFiツカエル口コミサイトspacehacker とは?
ぐるなびや食べログにあるような食べ物やお店の贅沢さを評価するライフスタイルメディアに対して、カフェやワーキングスペースの設備概況や、こんな仕事の交流が深まるといった”ツカエル”情報にフォーカスしたワークスタイルメディアを目指しています。
これからのフリーランスにとって必要なサービスを目指し、
spacehackerを使って「こんな出会いがあった」「こんな仕事が生まれた」
といった経験を、このサービスから沢山作っていきたいですね。
編集後記
物価の高いサンフランシスコ、滞在中はどんなところにいたのですか?と聞いたところ、
現地の人も寄り付かない、
地域の中でも最も治安の悪い地域の安ホテルに滞在していたとの事。
朝のシャワールームにホームレスが寝ていたりと、
日本ではありえないことも日常茶飯事。
「毎日受ける刺激と合わせて、当時は1日1日を生きている感が満載でした」
と笑って話す山田さん。
次回サンフランシスコに行く際は、是非安全なところに滞在して欲しいと願う編集部でした。
インタビュー・撮影場所貸し協力:DIAGONAL RUN TOKYO