親孝行――
言葉にすると突然むず痒さと照れくささが増すように思えるのは、筆者の精神が未成熟だからだろうか。
今回はそんなテーマをど真ん中に据えて事業展開をする若い起業家にお話を伺った。
中村 昌史(なかむら まさし)氏
1989年生まれ。福岡県宗像市出身。
【親孝行×IT】で世の中の家族に幸せを運ぶサービスを提供している傍ら、スリランカに貢献したい強い想いから、スリランカにIT人材育成の為の拠点として、AoitoriHRを設立。「社会的意義のある仕事しか行わない。」という意思のもと日本とスリランカで活動中。
起業の原点
中村氏が生まれ育ったのは福岡県宗像市。福岡県の2大都市圏・福岡市と北九州市のちょうど中間に位置する、人口10万人弱の小都市だ。
そんな宗像が嫌で、正確には「親と一緒にいたくなかった」という中村氏は、日本の中心である東京に近いところへ出て行きたいという願いも相まって、高校卒業後、神奈川の大学へと進学する。
望み通りに親元を離れ、念願の一人暮らし。しかし、早くもその初日に、中村氏は親のありがたみを思い知ったという。
当たり前ですけど、家に帰っても誰もいないわけじゃないですか。温かい料理が用意されているわけでもないですし、洗濯済みの服が畳まれて置いているわけでもありません。家賃も光熱費も自分で払いに行かなければなりません。本当に親のありがたさが身に染みました。
地方から出てきた10代の青年は、「親元を離れてわざわざ首都圏へ出させてもらったのだから、相応の価値を見出さなければ」と決意する。
実はここまでの話は、「ありがち」な話にすぎない。親元を離れて生活して初めて親のありがたみを知り、時には孤独に苛まれつつ、「実家暮らしの人には負けない」というハングリー精神が芽生える、というのは地方出身の若者の多くが体感することだ。
しかし、いつしか一人暮らしに慣れてゆき、孤独感が減ると共にハングリー精神も薄れ、あの日抱いた決意も色褪せていく――それもまた決してめずらしい話ではない。
だが、中村氏はそうではなかった。20才の時に、意を決して起業塾に通ったのである。「相応の価値」を見出すために。
私の実家では、祖父と父が同居していました。ですが、2人が会話を交わしているのを初めて見たのは、祖父が亡くなる直前のお見舞いの時でした。それまでの26年間、その光景を私は見たことがなかったのです。
身近に親子の確執があり、それを解消したい、ひいては世の中に存する全ての親子の確執をも解消したい、という想いで、起業塾の門を叩きました。
家族を軸に、親孝行をテーマに、という事業構想を社会人の方に説明するする中村氏。しかし、周りの大人たちの反応は必ずしも芳しくなかったという。
「事業にはならない」「ボランティアでやればいい」という厳しい意見もいただきました。反論しようにも、向こうは社会人の方々、私は学生。なかなか相手にしてもらえません。当時は悔しい思いをしましたが、起業するまでずっと自分の構想は練り続けていました。
ベンチャー企業で力を貯める
大学卒業後、カナダでの1年間のワーキングホリデー生活を経た中村氏は、一旦ベンチャー企業に就職する。
就職したのは、同窓会の幹事代行サービスを手掛ける笑屋株式会社。今でこそ業界トップのメジャーな企業だが、当時は草創期。「エンジニアと経理以外の業務は何でもやりました」と笑う。
世の中にないサービスを創り出し、これから浸透させていくという点で、自分が立ち上げたい親孝行ビジネスに役立つと考えて、お世話になることにしました。
自分が起業することは決めていましたので、「私は3年後に起業します。その時は退職させていただきますがそれでも構いませんか?」と告げたところ、承諾していただいたというのも大きいですね(笑)
懐の深い企業だな、と思うと同時に、それだけ中村氏の感性や人柄が買われたのであろうことは想像に難くない。
そして、退職の1年半前から具体的な退職日を宣言し、それを実行。株式会社青い鳥を立ち上げることになる。
最初の「お客様」
青い鳥の最初の「お客様」は、中村家だった。
両親への感謝を形にしたい、祖父と父との確執を解消したい、というのが起業の原点であった中村氏にとっては当然の成り行きだったのかもしれない。
中村家の大晦日は、近隣の親類も集まって餅つきをするのが習わしである。
その集いに合わせて、当時入院中だった祖父も一時帰宅する、そのタイミングを中村氏は見計らった。
それまでの中村家には、家族の集合写真がありませんでした。そこで、この日にサプライズでプロカメラマンを呼び、家族写真を撮る計画を立てました。
もっとも、いざとなって父が尻込みすると困りますから(笑)、母にだけは事前にこっそり伝えて協力をお願いしていましたが。
その日の家族写真が、こちらである。普段着での、飾らない日常の風景を切り取ったこの一葉。今は亡きお祖父様が「宝物だ」と喜ばれたのも肯ける。
青い鳥が運ぶもの~お客様の家族がより良い家族関係になるサービス
家族の話
クライアントであるお子さんの依頼を受けた「親孝行プランナー」が、しっかりと事前準備をした上で、親御さんにインタビューに伺う。そこでご自身の人生を語っていただき(例えば結婚の経緯、子どもが生まれた時の気持ちなど)、そのストーリーを本にする、というものだ。
本にすれば世代を越えて後世に残りますよね。現世に限って言えば、その本を起点に家族間のコミュニケーションを活発化していただくことに期待しています。
編集・製本されたご家族インタビュー。いい笑顔ですね。
家紋・家系図
一般的にはお墓に刻まれている家紋、そして家族の歴史を示す家系図。この2つを親孝行に繋げようというのが青い鳥の試みだ。
家紋はどの家にも存在する、企業のロゴのようなものです。核家族化・少子化が進行している今だからこそ、後世に残すよう働きかけることが大事だと思っています。
家系図も、ご自身の先祖やルーツを知り、それを後世に伝え継ぐための大事なツールです。こちらは、内容は歴史研究家のご由書と、形式は書道家と連携させていただいて作成を行うようにしています。
職人の手によって仕上げられた重厚感溢れる家紋
親孝行に正解なし
上記でご紹介したようなリアルビジネスの他、親孝行にテクノロジーを掛け合わせたITビジネスも展開予定だという。
親孝行に正解はないと考えています。幸せの形は人それぞれ、親子それぞれだと思うからです。ですから、その方、その親子にマッチした親孝行をご提案していきたいということは常に心掛けています。
私自身も、最高の息子だと言ってもらえるよう人生を通じて親孝行を続けていきたいと考えています。実家に帰る度に父の白髪が増え、少しずつお酒も弱くなっているのがわかります。後悔は先に立ちませんから。
編集後記
インタビュー本編が終わった最後に、同じ福岡県出身者として訊いてみたかった個人的な質問をぶつけた。「いつかあちらに戻ったりすることを考えていますか」と。
35才までには福岡に戻って、あちらを拠点として活動したいですね。
夢に期限を付すことによって、それは目標へと変わります。ですから、きっと実現させます(笑)
そうだよねえ、いいとこやもんね、福岡。